すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

誰のせい?

 
お正月気分の抜け切らぬ今週初めのこと。
新年一発目の我が家の姉妹喧嘩が勃発。
 
長女と三女で仲良く遊びに出かけるはずが
ちょっとした行き違いが重なり
そう言った、そんなことは言ってないの水掛け論の末
じゃあダメだね!そういうことだね!
と突き放すように言い放ち合い
楽しい計画は取り止めとなった。
 
聞くともなしに二人の言い分を聞いていると
要は、
はっきりとした意思表示もなく、はたまた意思確認もせず
スケジュール調整も曖昧なまま
お互いに自分の都合の良いように解釈し思い込んだがための結末。
どちらも悪し。
 
いい歳をした大人(娘たち)に今さらなんでこんなことを、と思いつつ
そこらへんを諭してみたが
二人とも納得がいかない面持ち。
自分もそりゃ悪かったかもしれないけど
相手のほうがもっと悪いとばかりに
一つ、また一つと不満を口にする。

自分も悪かったかもしれないけど
じゃなくて

自分が悪かったところ
まず潔く反省したら

じゃないと進歩しないよ

なーんて言ってみる。

いつまでこんなこと言わなきゃいかんのだ・・・・
  
といったことがあって。。
 
今年から新しく使い始めた手帳には
日々のページに、様々な人が様々な所で記した言葉が載せられている。
 
少し先のページをペラペラと見ていたら
あっと止まった文章があった。
 

 「自立とは、誰かのせいで何かができないと言わないこと。」
読者がああだから、こうだから、だから自分は思うものが書けない、という書き手がいたとしたら、
それは、読者から自立していない証拠だし、
会社が、ああだからこうだから、だから自分はやりたい仕事ができない、という人は、
そう言っている限り、会社での自立は難しい。
―――山田ズーニーさんが『おとなの小論文教室。』の中で
 
 
娘たちのことが浮かんだわけです。
「誰かのせいにする」ということ。

だいぶステージは異なりますが。

 
人間は、当然私も含めて、弱っちい生き物だから
上手くいかない時
誰かや何かのせいにして自分は悪くないと考えたくなるけど 
それに囚われ
其処にとどまっている限り
好転も進歩もしないのでしょう
  
それはわかる

わかるけど腹が立つ
しゃくにさわる

でもまあ
そこを何とかこらえて
失敗や未熟さを認め
己の中に答えを探す

誰かや何かのせいだ、と
囚われず、縛られず、倚りかからず
自分ひとり、潔く立つ

立ってみせる

自立とはそうしたことでもあるのか・・


と考えさせられた後の、 
昨夜のこと。。

テレビの中の人が、お医者さんだったか?
詳しくは忘れてしまいましたが
免疫機能を脅かす程の心の我慢はいけない、と。

上手くいかない時は誰かのせいにしましょう

と断言しておられて
思わずのけぞったのでした。

そうでありまするか~~( ̄▽ ̄;)

 
 
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朝ごはんもしっかり食べて
10時のおやつにこのパンケーキはなかなかのボリューム
あっという間に平らげてしまった自分自身にビックリ(@_@;)

お腹のお肉は紛れもなく自分のせい
誰のせいでもありません