すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

『スカーレット』えらいことになっています

 
『スカーレット』
えらいことになっています。
 
弟子の三津が登場し
八郎に密かな、いや見え見えの恋心を抱くあたりでは
これはまさか八さん、ただ今巷でヒンシュクをかっている
若い娘との不倫に走るのかと胸がキリキリしましたが
三津が去ることでそうとはならず
ところが、
穴窯問題が喜美子と八郎を思わぬ展開へと向かわせてしまい
二人の価値観の違いが浮き彫りになる結果に。
 
八郎が出て行った後
穴窯への挑戦を続けるため、山で拾ってきた薪を黙々と割る喜美子。
 
喜美ちゃん、強いなあ
 
思わず口に出ていました。
 
貧しい暮らしを支えるために、家族のために、
子どもの頃から人一倍頑張ってきたんやもんなぁ
そら相当の根性や
もう好きなことしたらええんや
堂々と好きなことさせて貰い
 
後ろ半分は自分の中の思いも少し混じっているな。
 
幼馴染の照子が喜美子のことを心配して
悪いことしましたと八郎に謝ってきなさいと言うんです。
 
喜「穴窯やることが悪いことか・・」
(そうや、それや、なんも悪くないで)
 
照「旦那があかん言うことをやるのは悪いことや」
(え!?嘘やろ?ほんまにそう思てる??)
照「喜美子が下がって八さん立ててやり」
 
その頃はそうやったんかなぁ。
そんなふうな夫婦関係がフツウやったんかなぁ。
自分の親世代以上を見てるとそうやったかな。
今は多分違うな。
“旦那があかん言うことをやるのは悪いこと”
というような基準や思考は
今の若い女性たちにはないと思います。
 
八郎の考え方もわかる。それはそれで正しい。
喜美子のやろうとしていることは確かに無謀かもしれん。
でも、旦那さんがダメだと言っているからダメ
それを押し切ってやるのは悪いこと
というのでは喜美子を説得できないし、喜美子は納得しない。
そりゃそうでしょ。

 

 
その後、喜美子が言うんです。
 
「朝起きて、今日は薪を拾いに行きますぅて誰に言う必要もなかってん」
「誰に断り入れんでも良かった」
 
「子どものころはお父ちゃんに断り入れてた。
やりたいことあったらきちんと頭を下げてお願いします言うてきた。
結婚してからは八さんや。やりたいことあったらお願いします言うてきた。
そうやってずっと生きてきた。子供のころからずっとや。
それが必要なかってん。
薪を拾いながらな、立ち上がったら冬の風がなヒューと吹いて、そん時思った。
ああ、気持ちええなぁ。ひとりもええなぁ。
そんなこと思てしもてん」
 
「穴窯やるんももう断り入れんでええしな。
うちは八さんおらんほうがやりたいことやれる」
 
わかるなあ、喜美ちゃん。わかるで
 
今度は心の中で呟きました。
 
家庭にいて、
誰に断り入れることもなく、
自分のタイミングで自分の思うように行動出来ることの
何と自由なこと!
心が広がる気がします。
 
・・・
 
夫がリタイア後、
いつもいつも顔を突き合わせていては揉めるばかりなので
月に半分くらい夫は隣県の実家に滞在しています。
義母は施設に居て誰も住まない家を管理する目的もありますが
そんな感じで離れて暮らすのが私たち夫婦にはちょうど良いようです。
 
夫が自宅に居ない間、申し訳ないけどすこぶる自由を感じております。
夫は妻の行動を厳しく規制する人でもなく、濡れ落ち葉というわけでもありませんが
勝手に私の方が何かと気にしちゃうんですよね。
好きなことばかりしちゃ悪いかなとか、あんまりほったらかしは可哀そうかなとか。
それに外出の際に何処で何をするのかなどと何気に訊かれるのも少々ウザい時もある。
それで、夫が自宅に居る間はつい自分もうだうだと家に居る時間が多くなるわけで。
 
それが夫が居ないとあれもしなきゃ、これもしたいと次から次へと思いつき
体も軽く心も軽くフットワーク軽く動き回る。
お父さんが居ないから暇してると思いきやお母さん忙しそうだねえと
娘に言われました。
 
妻って、主婦って、母親って
ある意味、家族に縛られている。
家族の為に動いたり気配りすることが仕事だから
自分の為に何かする時のハードルが高い。
(↑自分が勝手に思っていることかもしれませんが)
誰に断りを入れることもなく
自分のタイミングで自分の思うように行動出来ることの自由さ、楽しんでいます。
 
・・・
 
「ひとりもええなぁ」
そう言う喜美ちゃんの気持ち、おばちゃんもわかります。
「ひとりもええなぁ」と思うのはひとりの本当の淋しさを知らないからだと
誰かに言われるかもしれません。
 
大好きな吉田拓郎さんの歌「どうしてこんなに悲しいんだろう」
 
これが自由というものかしら
自由になると淋しいのかい
やっと一人になれたからって
涙が出たんじゃ困るのサ
 
というフレーズがあります。
Happyで楽しいはずの自由が淋しいなんて・・。
若かった自分に拓郎は
自由を求めるのならひとりの淋しさも併せ持つ覚悟がいるのだと教えてくれました。
 
その上で、やっぱり自分は自由でいたい。
ありのままの自分で自由に生きることがひとりの淋しさを味わうことであっても
致し方ないと思うのです。