前回の記事で、夫の家事力についてちょいとイイ感じに書きました。
それで、いただいたコメント内で「理想とする未来像」だなんて、滅相も無いお言葉を頂戴し、
いえいえ、とんでもないことだと冷や汗をかいております(-_-;)。
今に至るまでどんだけ揉めてきたことでしょうか。
いえ、今に至ってもなお、一触即発の危険をはらむ私たち夫婦であります。
夫が60歳ですっぱり仕事を終わらせたのが3年半前。
“一家を養う役割”を手離した夫は、次は家の中での役割を確立すべく、
自分の出来ることを見つけては、積極的に動いてくれようとしました。
その気持ちは素直に有難いし、嬉しく思いました。
ある朝、目玉焼きを作ると言ってくれた夫。
これからの日々、朝ご飯を夫が作ってくれてコーヒーの香りで目覚める私、
なんてことになったらラッキーと密かに思いつつ、是非!とお願いしました。
テフロン加工のフライパンをコンロに置き、おそらく何の考えも無く超強火にしたので、
「そんなに強火でなくて大丈夫だよ、テフロンのフライパンだし」と言うと、
あれ?速攻カチンときた様子。
油をひかず卵を落とさないまま、何故かガンガン燃やし続けるので、
「少し火を弱めようか」と手を出したら、ありありと気分を害して見せる。
「別に責めてないよ、せっかく料理覚えようとしてくれてるんなら、こうしたらいいよって言ってるだけだよ」
となだめるように言うと「いちいち言われたくない」「俺のしたいようにする」とそっぽを向く。
は?と私もカチンときたけど、出来るだけ穏やかに「あ、そう」。
イラつきながら夫が焼いた目玉焼きは案の定焦げて、こちらの心もモヤモヤで焦げ付く。
あーーー!頼むんじゃなかったと後悔したのでした。
食器洗いをすると言ってくれたこともありますが、常に水を出しっ放しで洗うのです。
洗剤を付けたスポンジでこする時くらい水止めたっていいんじゃない?と思うわけです。
水で流し終えた食器を水切りかごに入れるのにすごく手間取るなら、1回水止めてみたら?と思うわけです。
しかし、口にすれば夫はカチンときて、嫌な雰囲気になるのは目に見えている。
ジャージャーと流れ続ける水の音を背中に聴いて、心中はイライラがダダ流れ。
食器洗いを終えた後のシンクや排水溝の掃除など、いつも自分がやっていることもしてもらえたら有難いと思うけど、
それらの手順(ていうほど難しくない)を説明する段階で、夫の機嫌を損ねるのが想像できるので、
夫には言わず、後でそっと自分で始末しました。
洗濯物も干してくれました。でも、やっぱり違うんです。干し方が。
狭いベランダでスッキリ乾かす為に、如何に日光を効率良く当てるか。
曇りの日、風の強い日、小雨の日にも、少しでも洗濯物が乾くように、飛ばされないようにと、
長い年月で得たノウハウで洗濯物を干すわけですが、夫はそれをわかりません。
わからなくていいんです。「こう干してくれる?」と言った時に、普通にそうしてくれれば。
でも、やっぱりカチン!ですから。
まだまだありますが…。
細かいこと、言ってますよね。それはわかります。
せっかく手伝うって言ってくれてるのに、いちいち指摘して良くないよ。
先ずはやる気を尊重し、黙ってやって貰いなよ、って言われるのかな?
いや、わかりますよ。
我が子にお手伝いさせる際の心得ですよね。
やる気を育て成長を促す、みたいな。
でも今、私には時間があります。体力的な余裕もあります。
なので、
夫の機嫌を損ねぬよう気を遣いながら、どうしても夫に手伝って貰わなくてもいいんです。
企業戦士だったプライドでしょうか。妻に家事を教えて貰うことを拒否する人に、お願いしてまで手伝って貰わなくていいんです。
その内上手になるって言われるかもしれませんが、素直に人の話を聞けない人間が成長するとは思えません。
思えば、仕事で忙しい夫を当てにできず、家庭を守り、子育てに必死だった頃、
自分の時間などほとんど無くて、それでも精一杯頑張って。
そうして費やした年月で自分なりに納得のいく効率的な家事のやり方を見つけてきました。
それをただ普通にしたいだけなんです。だって、ずーっとそうしてきたんですから。
それをね、
夫のやり方にそうじゃないんだけどなと思いながら、
夫に気を遣い、自分の気持ちは曲げなきゃいけないなんて、しんどい。
それをストレスに感じ、嫌だと思うのは我儘でしょうか?
思うんです。
3人の子育てと仕事(とバドミントン)でいっぱいいっぱいだった頃は、
きっと夫の手助けは凄く有難くて、どんなふうでも受け入れられたろうなって。
フライパンが少々焦げたって、朝ご飯作ってくれたなら有難かっただろうし、
水が流れっ放しだって、食器洗いやってくれるんなら大したことないって思ったろうし、
洗濯物がぐちゃぐちゃなまま無造作に干されていても、取り敢えず干されていれば良しと思ったろうなって。
実際は、その頃の夫は仕事がめちゃくちゃ忙しくて、ほとんど手伝って貰えなかったけど。
夫の気持ちも考えず、我儘で自分勝手なのかもしれません。
ただ、自分の正直な気持ちを抑えて暮らしていくことは本当にしんどくて、
そして、しんどさに耐えられずイラつく私と接して、訳が分からず夫もイラつく。
半年に一度、私たちは爆発し大喧嘩をしました。
暮らしのストレスが溜まり溢れるのです。
何回目かの大喧嘩の時、私は本心を打ち明けました。
手伝ってくれようとするお父さんの気持ちはすごく有難い。
有難いんだけど、私には長年家事をやってきて自分なりに見つけたやり方っていうのがある。
出来ればそれをお父さんにもやって欲しくて伝えるけど、お父さんは人に指示されるのが嫌いで気分を害する。
だから、私は言っちゃダメと思う。
だけど、言わないで自分が納得しないやり方をされているのが本当はすごくストレスなんだよね。
なので、お父さんの気持ちは有難いけど、手伝ってくれなくて大丈夫だから。
自分がしたいことは自分がする。
その方が自分は有難い。
どうか理解してください。 と。
その後、いろいろと模索し、夫は掃除機をかけることを担当。
それについては私も一切口を出さず、夫は夫のペースでやる。
それで十分。十分どころか、私よりも丁寧な仕事ぶりで本当に助かります。
また、ゴミ捨てや洗濯物畳み、風呂掃除などは臨機応変ですが、
私が頼んだ時にスッとやってくれるので有難いです。
その他の家事のほとんどを私がやり、労働量としては私の方が多いですが、
自分の思うように出来るのでストレスが無く、何の不満もありません。
夫がリタイアし、さて二人でどう暮らしていこうかと思い描きました。
家事を分担し、私も少しは楽が出来るかな、なんてほくそ笑んだりしました。
時には夫に食事を作ってもらい、「わたし、食べる人」っていうのもいいなとか。
でも、想像出来なかった状況と向き合うことで、おのれのことを思い知りました。
度量の狭さ。そして、家事への拘りの強さは自分でも意外な程でした。
自分は自分の思うように家事したい。
そんなに家事が好きなわけでもないくせに、です。(苦笑)
家事を分担だなんて、私にはレベルの高いことでした。( ̄▽ ̄;)
あと、思い余って少々過激な発言もありました(-_-;)
ご気分を害されたら申し訳ありませんm(__)m
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