すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

「なんくるない」よしもとばななさん~なんてことないよ、どうにかなるさ


なんくるない よしもとばなな



2004年発刊(ちなみに、↑は文庫版のカバーです)


ばななさんは以前から大好きですが
かと言って、熱心なファンの方と比べれば、それほどたくさん読んでいないのかもしれません。


この本は、1ヶ月ほど前にたまたま読んだブログで紹介されていて
タイトルに惹かれポチリました。

沖縄には、神様が静かに降りてくる場所がある――。

心ここにあらずの母。
不慮の事故で逝った忘れえぬ人。
離婚の傷がいえない私。
野生の少女に翻弄される僕。

沖縄のきらめく光と波音が、心に刻まれたつらい思い出を、やさしく削りとっていく。

なんてことないよ。どうにかなるさ。
人が、言葉が、光景が、声ならぬ声をかけてくる。

なにかに感謝したくなるような滋味深い四つの物語の贈りもの。

(作品紹介より)


ばななさんの本を読むといつもそうですが

又、今回も
四つの物語に散りばめられたばななさんの言葉たちに
これはもしかして私のこと?と深く共感したり
そうか、そういうことなんだ、と腑に落ちたり、でした。

それがとても心地良いのです。

心が温められて、慰められて、やがて励まされていく。

だから大好きです。


この本のレビューを読むと
それぞれ心に響いた文章を取り上げて書いている人がたくさんおられて
そうしたくなる感じ、すごくわかるなあと。


私もそうした言葉たちにいくつも出会いました。

ちょっと長いですが、一つ書き残したいと思います。

 生まれてから百年程度しかとどまることのできない場所、このちょっとした遊技のなかで、なんで時はそんなふうに残酷な勢いで過ぎていってしまうのだろう?ついこの間までいっしょにいたのにもう触ることができない。
 
 そういうことがいくつもいくつもくりかえしあることに、どんな意味があるのだろう?
 
 あの日幸せだった私たちを思いうかべたら波音や光と一緒に、欠けてしまった人の面影ばかりが浮かび、今はまだ目の前が真っ暗になる。しかし時の波が少しずつつらい思い出をけずって、いつか全てを光の中にかえすだろう。
 
 闇を見て、また光が降り注いで、思い出を抱いて………うんざりするほどくりかえして喜びも苦しみもまたどこかへ消えていくサイクルの中で、立ち止まることも許されない人生の、私たちは単なる奴隷だ。
 
 なのにどうして、こんなにもいいものだと思えるのだろう。

 
 (「足てびち」より)



その頃、両親の命日を一週間違いで迎えて、両親と3人で写った写真を見ながら少し感傷的になった私。

2年前に父を、4年前に母を亡くし、普段は忘れていることがほとんどなのに
ふとしたきっかけで思い出すと、やっぱりまだ寂しさでシュンとなってしまいます。
いい歳していつまでも甘ったれだと自分でも情けなくなるのですが。


父が生まれ、母が生まれ、父と母が結ばれ、兄が生まれ、私が生まれ
今思えばさほど長くない時間を一緒に過ごし
今思えばそうなることが決まっていて、父と母はいなくなった。


時が来れば死んで別れることが決まっているのに
何故私たちは出会うのだろう
こんなに悲しいのに、と
自分でも不可思議な考えが頭に浮かびました。
出会うことに何の意味がある?とまで考えました。

初めてのことです。


そんな時、誰かが仕組んでくれたかのようなドンピシャのタイミングでばななさんのこの文章に出会い、ハッとしたのです。


“そういうことがいくつもいくつもくりかえしあることに、どんな意味があるのだろう?”

まさにその時、自分が知りたいことでした。


“うんざりするほどくりかえして喜びも苦しみもまたどこかへ消えていくサイクルの中で、立ち止まることも許されない人生の、私たちは単なる奴隷”


そうか……。
どんな意味があるかとか、何故とか、そんなことはまるで無視されるかのように、サイクルは繰り返される。
立ち止まることは許されない人生の、私たちは単なる奴隷にすぎないのかと思った時
スルンと腑に落ちて、奴隷という言葉はキツイのに、吹っ切れたような気分になりました。
ならば開き直るしかないな、と。


そして、


“なのにどうして、こんなにもいいものだと思えるのだろう”


ホントにね。
ホント、そうだ。

すぅっと心がなだめられるのを感じたのでした。



出会いって、人生って、生きるって、いいものだと思える瞬間が確かにある。


父と母のことだって、私が生まれて両親が亡くなるまでの
今思えば短いように感じる時間を

愛されて、愛して
喧嘩して、許して
最後は曲がりなりにも尽くせた気がするし
最期には自分でも驚くぐらい泣いて

存分に味わった。


別れることが決まり事の出会いでも
幸福感を噛み締める瞬間が確かにあった。


それで十分なんだな。


……………


なんくるないさー」


うちなーぐちの中でも、個人的に特に沖縄らしさを感じる言葉です。

気にするなー、なんとかなるよー

背中を優しくトントンしてもらったような
そんな気がしてほわっと緩みます。


ただ、本来の言葉は「まくとぅそーけー、なんくるないさー」


「真のこと、正しいことをしていれば、なんとかなる」
→正しい道を信じて努力すれば、必ずいいことがある、報われる
、という意味なのだそうです。


最近は、「なんとかなる」だけが広がって、楽観的な意味で使われるようになったとか。



そうか。そういうことか。


正しい道を信じて努力する

先ずはそれが大事なんですね…(;^ω^)




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