映画『怪物』と
その翌々日にミュージカル『ノートルダムの鐘』を観た
劇団四季ミュージカル『ノートルダムの鐘』を観ることはずい分前に決まっていたが
映画『怪物』は、話題になっていたのは知りつつも観に行くつもりはなく
その数日前にテレビで、『怪物』の出演者の一人である安藤サクラさんの話を聞き
急遽、観に行くことを決めたのだった
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安藤サクラさんは「出来れば何の前情報も入れずに観て欲しい」というようなことを仰っていたと思う
ただ、それ以前に別の映画を観に行った時に自ずと観てしまうことになった『怪物』の予告編
サクラさん演じるシングルマザーが、我が子へのイジメや担任教師の体罰を疑い学校へ問いただしに行く
しかし、教師たちの誠意の無い態度に怒りを爆発させる
特に、永山瑛太さん演じる担任教師や田中裕子さん演じる校長の反応は奇異そのもの
「私が話してるのは人間?」
予告ではそんなシーンが細切れに、且つ印象的に流れ
何となくそういう映画なのかなと思っていた
タイトルの『怪物』が示すのもそういうことなのかなと
しかし、そうではなく
それだけではない意外な展開に(エッ⁉)と心の中で声が出た
さすが、是枝監督作品
いったい「怪物」とは何か。登場人物それぞれの視線を通した「怪物」探しの果てに、私たちは何を見るのか。
(公式サイトより)
見えるものだけを見るのではなく
隠れて見えないものに目を向ける
正論と背中合わせの残酷さや
憐れみの隣の傲慢さをさらけ出し
強気の裏で震える人間の弱さや
過ちを犯す人間の切なさに光を当てる
今まで幾つもの是枝作品を観て
是枝監督の思いとしてそんなことを勝手に感じてきた
描かれるテーマは過酷であることが多い印象だが
それでも最後は、いつもほんの少し救われた
今回も、是枝作品のそんな意図を痛いほど受け取ることになったが
残念ながら『怪物』は、自分にとって救われない最後だった
面白くなかったということでは決してなく
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間に一日置いて、『ノートルダムの鐘』を観た
世界的文豪ヴィクトル・ユゴーの代表作「Notre-Dame de Paris(ノートルダム・ド・パリ)」に想を得た作品で、これまでも映画化、舞台化が繰り返されている
15世紀末のパリを舞台に、ノートルダム大聖堂の鐘楼に住む男カジモド、その彼を密かに世話する大聖堂聖職者フロロー、同警備隊長フィーバス、そして、その3人が愛するジプシー娘エスメラルダが綾なす愛の物語―。(公式サイトより)
序盤、生まれたばかりのカジモドを見て聖職者のフロローが思わず「怪物!」と叫ぶシーンがある
ふと二日前に観た映画が脳裏に浮かんだ
目に見える障害を持って生まれ「怪物」と蔑まれたカジモドの
紛れもない人としての純真
目に見える慈悲の心でカジモドを養育した聖職者フロローの
実は内面に巣食う「怪物」
物語の冒頭と終盤で「人間と怪物、どこに違いがあるのだろう」と歌われる
怪物とはカジモドであり、フロローを始めとする周囲の人間たちと対比しているようだが
一人の人間の中にある「人間性」と「怪物性」が、この物語の更に深いテーマであるのだと思う
☘️
映画『怪物』とミュージカル『ノートルダムの鐘』
図らずも二日違いで観た二作品のテーマが共に「怪物とは?」だったこと
ちょっと不思議である
ところで、
少しオタク話をさせていただくと(興味の無い方には申し訳ありませんが…)
前回は、カジモド役は海宝直人さん、フロロー役を芝清道さんだった
芝清道さんは、
自分がミュージカルを観始めた頃
『オペラ座の怪人』でファントム役の芝さんの圧倒的な歌声に文字通り震え
ミュージカル沼に足を踏み入れるきっかけとなった人
海宝直人さんは
前回の『ノートルダムの鐘』でその魅力に虜になった(彼についてはこれまで何度も記事にしています^^;)
今回観たカジモド役は寺元健一郎さん
彼も本当に素晴らしかった
彼のカジモドを観ることが出来て幸運だったと思うほど
鍛え抜かれ、錚々たるメンバーから選ばれたであろう歌声は当然のこと
何よりカジモドの悲しみや切なさの演技がこちらの胸に痛く沁みた
ああ、良かったなあ
もう一度寺元さんのカジモドが観たい
ちなみに、寺元健一郎さんを知るのは自分は恥ずかしながら“初”だったが
娘たちにカジモド役が寺元さんだったと伝えると
大きな声で羨ましがられた
オタク歴長い人たちの間では既に知られた彼だったようだ
オタクの修行、まだまだである