『ゴジラ-1.0』(ゴジラ マイナスワン、英題: GODZILLA MINUS ONE )
観ました。
2023年11月3日公開
第1作目『ゴジラ』は1954年11月3日公開。
今回の『ゴジラ-1.0』はゴジラ生誕70周年記念作品と位置付けられ
日本で製作された実写のゴジラ映画としては通算30作目だそう。
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実は、いわゆる「ゴジラ映画」は初。
「ゴジラ」の存在はもちろん知っていて
第1作目はまだ生まれていなかったけれど
その後の「ゴジラ映画」を観たクラスの男子たちが興奮気味に語っていたのも知っている。
やがて海外でも人気になる「ゴジラ映画」。
ただ、何となく観る気にならなかった。
同じ特撮映画の「ウルトラマン」は大好きだったのに。
第1作目『ゴジラ』 Wikipediaを引用させていただくと
海底の洞窟に潜んでいた侏羅紀(ジュラ紀)の怪獣「ゴジラ」がたび重なる水爆実験で安住の地を追われ、東京に上陸して破壊の限りを尽くす。
とある。
子どもだった当時、そこまで明確に意識していたわけではないと思うが
人間の愚かな所業で姿を現すことになった「ゴジラ」と
それをやっつけようとする「人間」との構図に何となく違和感があった。
物語の中で勧善懲悪を求めようとするなら
人間社会を破壊する「ゴジラ」は悪で
では、「人間」は善なのか?
それを描いているの?
そもそも「ゴジラ」を生み出したのは「人間」ではないの?
観ながら、どちらに基準に置けばいいのか
観終わって、どこに落としどころを持っていけばいいのか
作品を観る前から、多分腑に落ちないだろうことが何となく想像できて
モヤモヤとした気分で「ゴジラ映画」を敬遠していた。
初っ端から「ゴジラ映画」を否定するようなことを書いてすみません(ーー;)
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そんな私が、公開から3ヶ月近く経ち、しかも初めてとなる「ゴジラ映画」、『ゴジラ-1.0』を観ようと思ったのはあまりにも単純な理由。
評判が良いから(;^ω^)
いつまでも食わず嫌いで凝り固まっていないで、ひとつ観てみようと考えたのだった。
舞台は戦後の日本。
戦争によって焦土と化し、なにもかもを失い文字通り「無(ゼロ)」になったこの国に、追い打ちをかけるように突如ゴジラが出現する。
ゴジラはその圧倒的な力で日本を「負(マイナス)」へと叩き落とす。
戦争を生き延びた名もなき人々は、ゴジラに対して生きて抗う術を探っていく。(「映画.com」より)
1946年(昭和21年)夏。ビキニ環礁で行われた米軍による核実験「クロスロード作戦」により、その近海にいたゴジラは被曝。
それによってゴジラの細胞内でエラーが発生し、その体は体高50.1メートルまでに巨大化する。
日本に上陸したゴジラは破壊の限りを尽くし、それに対し人間たちが立ち向かう。
第1作目の『ゴジラ』を観ていないので分からないが
「ゴジラ」対「人間」の構図や物語の流れ的にはあまり違わないのかなと思う。
「ゴジラ」の悲哀、もしくは「人間」の愚かさといったものに大きく焦点が当てられることもない。
あくまでも「ゴジラ」対「人間」の熾烈を極める戦い、である。
そんな『ゴジラ-1.0』を125分間
中だるみすることなく、恐れていた違和感を感じることなく、観続けられたのは何故だろうと考える。
大袈裟な言い様をすれば
VFXの息を呑むほどの精巧さに、脳内や精神を支配された感覚で
違和感など何処かに持って行かれた。
そして、
ゴジラの体を煌めかせるブルーやレッドが高貴に美しく
ゴジラの口から放たれる超ド級の閃光さえも美しい。
末娘に「ゴジラ、どうだった?」と訊かれ
「うん、なにしろ映像がずっと素晴らしくて、綺麗で、目が離せなかった」と答えたが
私の感想はそれに尽きる。
日本映画として初めてアカデミー賞視覚効果賞にノミネートされたのは大いに納得。
ノミネートに留まらないのでは、とも思っている。
加えて、
「ゴジラ映画」を観たこともないのに、長年勝手に抱いていた違和感。
それを感じずにいられたのは、やっぱりストーリー展開、脚本も良かったのだと思う。
「ゴジラ」と「人間」たちが戦う流れにいつの間にか納得していた。
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「人間」の愚かさに大きく焦点を当てられることはない、と書いたが
それでも作品中で、ビキニ環礁での核実験や米ソ東西冷戦、また第二次世界大戦での日本軍の特攻作戦などについて触れられ描かれてもいる。
同様に、第1作目の『ゴジラ』でも、同年に発生した第五福竜丸事件を背景に、反核や文明批判をテーマとした濃密な人間ドラマは単なる娯楽映画の粋を超えていると高く評価され(Wikipediaより)とある。
「人間」の愚かさの果てに生まれた「ゴジラ」と対峙し
(命をかけて)けりをつけなければならない「人間」の責任が問われている
70周年となる「ゴジラ映画」を初めて観て
それが合っているのか的外れなのかわからないが
自分なりの落としどころを見つけた気がしている。