すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

現実を涼しく受け入れる


―― 続きです。
次に、内田先生は興味深いお話を紹介してくださっています。

歯科医によると、世の中には「入れ歯が合う人」と「合わない人」がいるそうです。
合う人は作ってもらった入れ歯が一発で合う。合わない人はいくら作り直しても合わない。
別に口蓋の形状に違いがあるわけではありません。
自分の本来の歯があった時の感覚が「自然」で、それと違う状態は全部「不自然」 だから嫌だという人は、何度やっても合わない。
それに対して「歯がなくなった」という現実を涼しく受け入れた人は「入れ歯」という新しい状況にも自然に適応できる。
多少の違和感は許容範囲。あとは自分で工夫して合わせればいい。

内田先生にこの話をなさった合気道のご師匠は「合気道家は入れ歯が合うようじゃなくちゃいかん」と
笑っておられたそうです。
武道とは、与えられた環境でベストパフォーマンスを達成するための心身の工夫のこと。
「こんな戦力じゃ戦えない。やり直せ」と要求するのではなく、
手持ちの資源をやり繰りして何とかするしかない、とおっしゃっています。

そして、

結婚も就職も、ある意味「入れ歯」と同じです。
自分自身は少しも変わらず自分のままでいて、それにぴったり合う「理想の配偶者」や「理想の職業」との出会いを待ち望んでいる人は、多分永遠に「ぴったりくるもの」に出会うことができないでしょう。
「どんな相手と結婚しても、そこそこ幸福になれる人」は、「理想の配偶者以外は受けつけられない人」よりもずっと市民的成熟度が高いと僕は思います。
親族というのが「それが絶えたら共同体が立ち行かないもの」である以上、「大人」とはそういうものでなければ困る。
仕事だってそうです。
「どんな職業に就いても、そこそこ能力を発揮できて、そこそこ楽しそうな人」 こそが成熟した働き手であり、
キャリア教育はその育成をこそ目指すべきだと僕は思っています。

自分にどんな能力があるかなんて、実際に仕事をしてみなくちゃ分からない。
分かった時にはもうけっこうその道の専門家になっていて、今さら「別の仕事に就いていたら、ずっと能力が発揮できたのに・・」というような仮定の話はする気もなくなっている、というものではないでしょうか。


前回同様、
若い人、これから仕事を探そう、職業に就こう、という人に向けてのメッセージに、
ハッと胸を突かれた気がします。
前回の記事にいただいたコメントにあったように、今の日本の厳しい現実を前に、
だからこそ、なおさら、必要な意識なのかもしれないと思いました。


現実を涼しく受け入れる

なんとも気持ちの良い言葉です。
その境地を会得し、
涼やかに潔く、そして明るく生きていきたいものです。