すっとんきょうでゴメンナサイ

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生きる希望

 
生きる希望・・?
 
NHK朝ドラ梅ちゃん先生で。。
深刻な病状に、もう治療はいいと無理やり退院した患者さん。
「生きていればまだまだいいことがある、だから病院に戻って治療を受けてください」と梅ちゃん先生
「本当にいいことなんかあるのかね。じゃあ、それを証明してみてくれるかな」
と返される。
家族は妻と二人だけ。
「努力したってどうにもならないことがある」というその人に、
何か「生きる希望」はないか考える梅ちゃん。
 
梅ちゃん先生のお母さんは
「子どもたちの将来が一番の楽しみ。別に偉くならなくていい。自分なりの幸せを見つけてくれればそれでいい。
それを見守って、たまにはお節介を焼いて・・。それが親が望むことなのよ」
 
「でも、子どもがいてもいなくても生きがいってあるものよ」
梅ちゃん先生はお祖母さんに言われ、患者さんの生きがい「生きる希望」を探そうとする。
 
近所の奥さんも「生きる希望」は子どもの成長と言い、
「亭主があんなんだから先の楽しみは子どもしかないでしょ」と。
 
ところが今日の終わりには、その患者さんには実は娘さんがいるということが分かって・・(続く)
 
 
 
今日は授業が午後からで、一緒に『梅ちゃん先生』を観ていた末娘が
「ねえ、おかあさんの生きる希望って何?」と聞く。
ドラマの展開を観ながら少々予感はしていたが、やはりきた。
となるとここはやっぱり、
「あなたたちの将来よ」とか「あなたたちの幸せよ」とか言うところなのだろう。
事実、梅ちゃんのお母さんの気持ちには十分共感するし、
娘たちが自分なりの幸せを見つけて生きていくことが親として何よりの願いである。
 
が、
あなたたちの将来や幸せが「おかあさんの生きる希望」だとは、
なぜかその時言えなかった。
言い淀んでしまったのだ。
「おかあさんの生きる希望」だなんて、
何だかねっとりと重たいものを娘たちのかけがえのない人生に乗っけてしまうような気がして。
 
娘たちには、親のことなど気にせず自由に思うとおりに生きて欲しいし、
その将来は娘たちのものだと思っている。
極端なことを言えば、娘たちが選んだ人生で何か不幸があったとしても仕方が無いとさえ。
親がすることはその時に支えてやることで、
親の「生きる希望」を娘たちの人生にかぶせることには違和感がある。
 
それに、これは考えすぎかもしれないが、
子どもの幸せな将来が親の「生きる希望」だとすると、
そうでない将来を歩んでしまった子どもの親は「生きる希望」を失うということか?
そうではないだろう。
そんな重苦しく悲しいプレッシャーを娘たちに背負わせるのも嫌だ。
 
娘たちにはいったいどんな将来があるのだろう。
どうか自分なりに幸せをつかんで欲しい。
けれど、それを「おかあさんの生きる希望」だとはどうしても口に出して言えなかった母である。
そこらへんのとこ、娘よ わかってくれたかなぁ・・
 
もひとつ、
ドラマの中で近所の奥さんが言った「先の楽しみは子どもしかないでしょ」というのも、
何だかあまり楽しくない感じ。
子どもの立場からも多分嬉しくない。
 
 
「生きる希望」
 
誰かに寄りかかることなく
誰かの人生を巻き込むことなく
きちんと自分で立って、掴みたい。
 
・・・・・
 
まとまりがなくわかりにくかったところ
どうぞ、ご理解ください(^^;
梅ちゃん先生』に決して物申すところではありません。
毎日楽しみに観ておりまーーす