すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

生きる希望、再び

※ ご注意くださいまし!
 
先日、NHK朝ドラ『梅ちゃん先生』で出てきた「生きる希望」についてたらたらと申し述べました。
再度、ごちゃごちゃと書いておりますので、このままお止めくださっても構いません(^^;
 
・・・・・
 
梅ちゃん先生』より。。
あの日、患者である男性には実は娘がいるらしいということが分かって、
というところでお話は終わりました。
そして今回――
 
数年前、男性と娘さんは結婚を巡ってケンカ別れ。そして未だに音信不通。
しかし、きっと会いたいはずと、梅ちゃんはその男性と奥さんに、何とか娘さんと会わせてあげたいと奔走します。
ようやく見つかり、娘さんから預かった孫のアルバム、両親への思いがこもったアルバムを開いた時、
頑なだった男性の心が柔らかくほぐれていきました。
そして、また元の親娘のように娘や孫と会えるようになったその人は「生きる希望」を実感します。
 
「それじゃ、病院に戻っていただけますか?」
「いや、戻らない」
「だって、娘さんやお孫さんと会えて生きる楽しみが見つかったじゃないですか」
「病院に戻ったらこいつらと過ごす時間が無いまま死んでしまうかもしれない。
それよりか みんなに囲まれて最後の時間を過ごしたいんだよ。
船乗りをやめたら家で家族とゆっくりと過ごす、やっと今その夢が叶ったんだよ。これが私の幸せなんだ。」
 
 
 
前回・・
私の「生きる希望」は子どもと言ってしまうことに急にブレーキがかかって、娘本人に向かって言えなかった。
その理由は先日の記事に書きました。
でも、
この場面を観ながら、やっぱり子どもは私の「生きる支え」「生きる灯り」なのだと
ずっと前から分かっていた思いが沸き上がってきました。
つまりそれを、「生きる希望」と呼ぶのならまさしくそうなのですね。
その思いがあまりにも強いから、あの時咄嗟に隠そうとしたのかもしれません。
その強い思いを娘にかぶせてはいけない、と。
 
・・・・・
 
娘たちがまだほんの赤ちゃんだった頃、
ようやく歩き出して目が離せなかった頃、
親の手を離して初めて幼稚園バスに乗り込んでから、ずっと長い年月の間。
そして今の今も。
娘たちがこの世からいなくなることをずっと恐れてきました。
それは愚かなほど度を超えた不安だったかもしれません。
でも、もしそんなことが起こったら自分はきっと生きていけないと思っていました。
 
娘たちはそこにいるだけで私の人生にポッと明かりを灯してくれている。
それだけでいい。
何も求めるものはありません。
それは間違いなく私の「生きる希望」なのでした。
 
・・・・・
 
それでも、
これからも「あなたはお母さんの生きる希望よ」とはなかなか言えないかもしれません。
 
と言うか、
そういうシチュエーションが我が家ではあまり想像出来ません(^^;
おかしなタイミングで言うと押し付けがましくなりそうだし。
分かってくれている気もするし。
 
あ、
夫婦がお互い「生きる希望」となれたら、それはもう素ん晴らしいじゃないですか!
ただ、こちらの方は、黙っていては多分伝わらないので
「貴方は僕(わたし)の生きる希望です!」と押し付けがましく言ったほうが良いでしょうね(笑)
 
 
 
今、昔のあの感じが蘇ってきて涙が出ます。
娘たちがもし私より先にこの世を去ることになったら私はいったいどうなるのだろう