すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

『風立ちぬ』

 
風立ちぬ 観ました。
 
 
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宮崎駿 原作・脚本・監督
 
 
実在の人物である零戦ゼロ戦)の設計者堀越二郎氏を描くものであること
その主人公には、
タイトルにも由来する風立ちぬ」の作者堀辰雄氏のエピソードも混じっていること
それだけを知って、行きました。
 
少しネタバレもあります。
しかし、思いの丈を書かせてください。
 
 
背景が、やっぱり、恐れ入るほど素晴らしかった。
 
空が本当に本当に真っ青で、美しかった
雲がその時々で見事に鮮やかだった
風は草木を揺るがし帽子を飛ばし少女のスカートと黒髪をなびかせて吹き抜けていく
緑の大地は伸びやかに、スクリーンをはみ出してどこまでも続いている
その向こうには山並みが連なって“大いなる”という言葉そのもの
 
(堀越氏は群馬県藤岡市の出身でおられるので、
あの山並みは赤城か榛名か、などと心の中で知ったかぶりをする。
だだっ広い田園風景の中を蒸気機関車が走れば、
ではあれは高崎線だなとちょっと嬉しくもなる。
そうだったそうだった、
自分が10代の頃の大宮以北の高崎線沿線もああだったなと懐かしくなるのだ。)
 
美しい日本が堂々とそこに広がっていた。
 
時代を映す建物や街並み
そこに暮らす市井の人たち
身近に描かれる小さなものたちひとつひとつにも愛おしさを覚えた
 
(二郎が幼い頃、妹と寝ていた布団!派手というか斬新というか、初っ端心を掴まれました。
まさにジブリ的だな~って。すごく綺麗なんです。)
 
この、ジブリたる色彩!
この、ジブリたるリアリズム!
やっぱり大好きです。
 
 
 
主人公の二郎は戦闘機の設計技師。
ですが、物語の中で彼が戦争について自分の考えを語る場面はほとんどありません。
幼い頃からの夢である “美しい飛行機を作る”
ただそのことだけが彼の中にあるのです。
そして“ゼロ戦”を完成させるのです。
 
極端に言ってしまえばただそれだけのお話です。
 
それだけのお話ですが、
宮崎監督はまさにただそのことだけを描きたかったのかなと
見終わった後考えたことです。
 
ゼロ戦による戦闘シーンもありません。
例えば何か言葉にした反戦メッセージといったものもほとんどありません。
 
ただただ美しい飛行機を作りたいと思い続け、その夢に真っ直ぐに生きた
あの時代、何ものにも惑わされず阻害されず、自分の夢に忠実にあろうとした
 
それを、
そのことだけを描きたかった
 
しかし
それがどれほど崇高であるか
それがどれほど尊敬に値することか
それを描きたかったのではと。
 
 
宮崎監督はあるインタビューの中で
戦争は愚かであること
先の大戦で日本軍がしたことを反省すべし
憲法改正などもってのほかだと述べられています。
ですから、
なのに戦闘機の設計者を共感を持って(堀越二郎に敬意を込めてとありますから
描くことに何か意味があるのではと、
実はそこを探りたい思いもありました。
 
が、
戦争の時代、ただ自分の追い求める夢のみに忠実に生きた堀越二郎氏同様、
宮崎駿氏もそうして夢を求めた飛行機設計技師をただ描いて見せた
それだけを受け取って欲しいと
そういうことなのではと今は思っています。
 
そして、
後はどうとでも考えてくれ
 
そういうことなのかもしれません。
 
 
 
終盤、二郎の夢のシーンで
真っ白な“ゼロ戦”が真っ青な空にいくつも飛んで行く光景に胸が詰まりました。
その中の一機に乗った戦闘服の若い飛行士が二郎に笑顔で手を振るのです。
そして空に消えていく。
美しいシーンでしたが、美しいがゆえに悲しみが押し寄せて涙が溢れました。
 
映画の中では描かれていなくても
美しい飛行機を作る夢を追い求めた二郎の純粋な思いとは全く別のところで
その夢の証である“ゼロ戦”のたどった運命
その“ゼロ戦”と共に失われた多くの御霊のこと
戦争があったあの時代の悲しみを深く考えずにはいられませんでした。
 
 
お門違いかもしれません。
そんなつもりは毛頭ないと宮崎監督には怒られるのでしょうが
 
自分はこの作品から
何もかもを剥奪し破壊し、
尊い命や純粋な夢を失わせる戦争というものへの痛烈な批判を感じ、
受け取りました。
 
 
最後、二郎はすっかり傷ついてしまいます。
しかし、
「生きねば。」と再び前を向きます。
(正確には、亡くなった妻に夢のシーンの中で「生きて」と告げられるのですが)
 
こんなこんちくしょうの世の中だけど
我々は生きねばならぬ。
 
生きねば。
 
それも又、この作品のメッセージだと自分は受け取りました。
 
 
 
長々とお付き合い頂き感謝いたしますm(__)m
 
あ、あともうひとつ・・(^^;
 
泣けました~~(´;ω;`)