すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

映画、2本立て

 
昨日は久しぶりに一日なんにも無い日だったので
映画(勝手に)2本立て、行ってきました。
 
 
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太平洋戦争終結直後の1945年8月。
GHQ最高司令官ダグラス・マッカーサーは日本に上陸。
そして“真の戦争責任者は誰か”
部下であり知日家のフェラーズ准将に調査を命じるところからこのドラマは始まります。
企画/奈良橋陽子、監督/ピーター・ウェーバーによるアメリカ映画です。
 
マッカーサーやフェラーズも勿論、東條英機近衛文麿木戸幸一、関屋貞三郎といった実在の人物が次々と登場し、
終戦直後の史実を基に、フィクションも交えながら描かれています。
因みに、宮内庁職員で昭和天皇のお側近くにいた関屋貞三郎氏は奈良橋陽子さんの祖父でもあります。
 
フェラーズの調査は困難を極め、それでも少しずつ明らかになる真実。
そしてラスト、おそらく多くの日本人が知るこの写真へとつながっていくのですが・・・。
 
「誰もが知る歴史の1ページには、秘められた衝撃と感動のドラマがあった――。」
 
このキャッチコピーに違わぬ感動を得ました。
68年前、どのようにして戦争を終わらせることが出来たのか。
愚かな侵略を尽くし多大な犠牲のもと大敗し打ちのめされたこの国が
今、こうして「日本」として存在することが出来たのはどうしてか。
出来れば映画を観て、それを知って欲しいと思うほど。
あっという間の107分でした。
 
 
 
続いて少年H』
 
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グラフィックデザイナー・舞台美術家でもありエッセイスト・小説家の妹尾河童氏による自伝的小説が原作です。
 
激動の昭和初期。異国情緒あふれる神戸を舞台に、「戦争」という激流の渦に巻き込まれながらも、勇気、信念、愛情を持って生き抜いた「名もなき家族」の物語。
と、映画『少年H』の公式HPにありますが、まさにその通りの内容と言えます。
 
そこには、少年Hの目や言葉、心を通して、悲劇的な戦争へと突き進む当時の状況が具体的に順を追って描かれており、
画面を観ながらもう、子どもたち、若い人たちに是非観てもらいたいなぁと思っていました。
あの時代、世の中はおかしなことばかりでした。
今の人たちに言わせれば「有り得な~い」ことばかりです。
しかもそれは気づかぬうちにすぐそばまでやってきていた。
それを感じて欲しい。
そしてそんなことあって欲しくないと思って欲しいのです。
 
『少年H』は本を読み、以前テレビでも観ました。
わかったようなこと言っている自分も戦争を知らない子どもたち”が大きくなった“戦争を知らない大人”のひとり。
戦争を知る方々が少なくなっていく現実が怖くさえあります。
 
知ること、知ろうとすること
伝えること、伝えようとすること
 
それをこの国が、社会が、忘れずにいて欲しいと改めて強く思いました。
 
 
 
広島での被爆体験を描いた漫画家、故中沢啓治さんのはだしのゲン作品中の暴力描写が過激、
子どもたちが自由に見られる状態で図書館に置くのは不適切だとして、松江市の小中学校で閲覧制限となった事。
とてもショックでガッカリしました。
何故大人たちは余計なことをするのでしょう。
過激なことを言わせてもらえば、
子どもたちのことを信じられない大人たちがすること、とさえ思ってしまいます。
 
我が家の娘たちは皆、小学校の図書館で自由に『はだしのゲン』を手に取り、読みました。
何十回も、だそうです。もちろん他の友だちも。
長女が言います。
「そりゃ少しはグロい(残酷な)場面もあるけど、だからそれがどうこうということは無かった。それより、あの漫画の伝えようとするところはちゃんと伝わったよ。衝撃的だったけどそれが事実なんだって思った。いい本だよ」
 
もひとつ過激なことを言わせてもらえば、
小さな人たちは愚かな大人たちよりもはるかに本質を見抜く力を持っていると思うのです。
何を心配するの?
心配なのは何も真実を知らないこと。
どうか子どもたちを信じて。
 
ご自身の想像し難い苦しみを抱えながらも、
困難に負けずに生き抜いた“はだしのゲン”を通して、
戦争や原爆の悲惨さを伝えようとしてくださった中沢さんの遺志が踏みにじられたようで、残念・・・。
悲しいです。