すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

父の初恋

 
今年の9月、長女と一緒に実家に帰った時のこと。
 
最終日の夜は毎度お決まりの焼肉パーティーだった。
日頃食べられない高級肉のオン・パレードに長女と私でがっつく。
ずい分と少食になった両親もそれにつられるかのように箸を持つ手をのばす。
ビールや焼酎でそれぞれがほろ酔い気分になった頃
これまた毎度お決まりの、母の“若い頃モテた”話が始まる。
父と結婚前、自分にとっては恋愛対象ではなかったけど自分のことを好きだった同級生がいたそうで
その彼がこんなこと言ったとか、こんなことしてくれたとかいつも少しばかり自慢げに話すのだ。
しかし、よくよく聞いてみると特に告白されたわけでもなく
「あの子は多分ワタシのこと好きやった」という想像でしかないわけで。
だから、たまにそこんとこをチクリと指摘するのだが一向に意に介さない母の話は続く。
 
ところが今回、
そんな母の自慢話をストーップ!させるかのように父が口を挟んだ。
「ママに張り合っとるように思われたら不本意やけどなぁ僕にもそういう想い出があったんやで」
少し照れた顔と控えめな口調で話し出す父。
 
。。。
 
母とお見合い結婚をする前、東京で働いていた父は同じ職場の女性と恋をした。
お互いハタチになったかならないかの若い若い恋である。
親元を離れ、故郷を離れ、初めての都会での一人暮らしは心細くもあっただろうが
彼女と過ごせる幸せで毎日が楽しかったそうだ。
ある時、そんな様子を見た同僚の男性に
「お前、こんなことしていていいのか。何のためにここにいるのか」と言われた父はハッとしたらしい。
当時、勤め先から学費を出してもらい仕事をしながら大学に通っていた父にとって
最優先すべきはしっかりと勉強をし、勤め先の役に立つ人間になること。
好きだ惚れたと女性にうつつを抜かすことはあってはならぬと同僚に諭され、父もまたその通りだと考えたのだ。
 
現代なら、
仕事と恋愛はそもそも別の次元のことであり
どちらかを取ってどちらかを捨てるなどとちょっと違うと考えるのだろうが
当時の日本人にとって恋愛はいろいろな場面で規制のかかることだったのだろうと思う。
 
その通りだと考えた父はずい分と悩みそして、恋人と別れることを決めた。
父の立場、勤め先の恩に報いなければという父の思いを理解し彼女も別れを受け入れてくれた。
 
 
「最後、上野駅で二人、おいおい泣いて別れたわ。
じゃあって言うて、常磐線方面へ帰る彼女の後ろ姿を見送った時、可哀想で又泣けた・・」
 
そう話す父の顔が見る見るゆがんで、父が泣いた。
しわくちゃの泣き顔の目から涙がポロポロとこぼれて。
驚いた・・。
そして、私と長女は「まあまあ、おじいちゃん」となだめつつもらい泣きしながら少し笑った。
 
初めての本当の恋だったのかな・・。
その時の想いを半世紀以上の時を経て再び蘇らせた父の心の瑞々しさに驚きつつ
ああ、いいなあ・・とそんな父のことが愛おしかった。
 
好きなのに上野駅でおいおい泣きながら別れた若かりし頃の父と彼女の姿、
思い浮かべると切なかった。
 
 
 
よく考えれば当たり前だけど
今や100パーセントお爺とお婆の父と母も恋をし、恋を失いそうしてきたんだなぁと
しみじみした気持ちになったのだった。