すっとんきょうでゴメンナサイ

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「母の日」のその後

 

前々回、「母の日」の記事を書きました。

何も無しだと思っていたところ、長女から連絡が来て、ご飯ご馳走になりました。

もうずい分と立派(?)な大人な長女。実家を出て自立もし、しかし、ただ今絶賛プータロー中(笑)。※ちなみに、この場合の“絶賛”の使い方は誤用です。悪しからず^^;

本人、好きでそうしているので、何も可哀想に思うことないのですが、やはり何だか可哀想にも思えて、一緒にご飯食べた時などこちらがお金を出すことが多いのだけど、

メニューを注文後、「今日は母の日ということで私が払いますので」とキッパリ言うので、遠慮なくそうして貰いました。

嬉しくて、美味しさ増し増しでした(´▽`*)

 

長女は看護師として働き、ある程度お金が貯まると辞め、しばらく無職でのんびり好きなことをして過ごし、貯えが無くなると又働く、を繰り返しています。

今は無職。不安など微塵もないかのように、好きな事だけを好きなだけ出来る至福の期間を満喫しています。

出来れば一所に落ち着いて働きたいと考えなくもないのでしょうが(多分)、本人的に職場があまりにも過酷だったり雰囲気が合わなかったりで、なかなか思い通りにいかないようです。

まあ、我儘と言えば我儘。そんな事は働く者ならいくらでもあり、それを耐え忍び、皆頑張って続けているわけです。

ここを辞めて次の就職先が見つかるだろうかと考えるとそうそう簡単には辞められない。そういうものでしょう。

ところが、看護師はいつでもどこでも大抵就職先はあり、常に求められています。

それをいいことに、看護師稼業を渡り歩く長女。

図らずもそれは、ライフスタイル(と呼べるほど確かなものではないにしろ)として彼女にはまったとも言えます。

進む道を自分で選択できる強みと自由を手にして、得意のマイペースで自分の人生を歩んでいる様は、もはや親から何も言うことは無く、プータローの現在も何ら心配していません。

 

 

それほどの決意や使命感もなく、将来何かあっても一人で生きていける資格をと看護師の道を選んだ長女でした。

その選択には親からの助言も影響したかもしれません。

看護大学に入り、学生時代、実習期間、精神的にも肉体的にもずい分大変だったようです。

もうやめたい、看護師なんかになりたくない、と辛そうな姿を何度も見てきました。

それでも何とか看護師になり、今、長女にとって看護師であることは、彼女らしく生きるための少なくとも経済的な支えであることに、親としてはちょっとホッとするのです。

願わくば、看護師として誰かの役に立っていると実感できることが、喜びとして誇りとして彼女を支えるものであれば更に嬉しいですが、それは周りがどうのこうの言うことではないのでしょう。

何を求めてどう生きていくかは本人の思うことですしね。

 

 

やめないで良かったね。頑張って良かったね。

今、自分が自分らしく生きられているとしたら、全部自分の頑張りによるものだよ。

 

そして親は、どんな生き方であれ我が子が我が子らしく生き生きと楽しく人生を歩んで行ってくれることが、何よりの幸せ。

そうか。

そんなふうに生きている我が子の顔を見られることが「母の日」の一番のプレゼントなのかもしれませんね。(❁´◡`❁)

 

 

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