すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

“片付けられない女”1号、2号

 

朝から雨。

どんよりと空気が重く、そうでなくても眠たがりの身。瞼も重い…(︾o︾)

 

先週末、長女と三女が帰って来た。

秋に予定しているリフォーム(クロスの張替、照明器具の交換)に備えて

以前は子ども部屋、今は物置化している部屋の片付けの為

家を出た際に残していった自分たちの荷物を整理し、不要物は断捨離するとの意気込みである。

 

いや、親に任せてくれるのなら、いくらでも片付けるのだが

母親に任せたら何をされるかわからないとの危惧から

自分でやる!と言う娘たち。

そうは言っても、そもそも“片付けられない女”1号、2号である。

すんなりと片付くとは思えず、少しでも荷物が減ればいいかと、まあそんな感じで。

 

殊勝にも朝の10時から始めた二人。

チラッと覗くと三女の方はまあまあ進んでいる様子だが

長女は既に思い出に浸り、手元の懐かしの品に見入るばかり。

かと思うと、仕事が捗るようにと流した音楽に合わせてダンスしている。

要か不要か選別するはずの荷物たちはただ回りに広げられているだけに見えた。

 

途中おやつ休憩と昼食を挟み、午後も2時間ほどやっただろうか。

三女は手放す本たちを紐で縛り、可燃物と不燃物のゴミ袋をいくつか。

彼女にしてはよく頑張った。

だが、長女はと言うと、これといった成果は有るのか無いのか不明。

床の上にさっきの荷物たちは無いが、結局、また元の所に仕舞ったようだった。

 

秋まではまだ時間がある。

帰り際「少しずつ、マメにやっていくことにした」と言う長女に

「そうだね。1回の片付けにゴミ袋一つ作ると思ってやればいいんじゃない?」

励ましの意味も込めて、相当低レベルの片付け基準を提案してみたが

それも難しいかなと実は思っている(;^ω^)

 

……………

 

三女は前回の引越しの際、“片付けられる女”の次女に荷物の整理を手伝ってもらった。

「これ、要る?」「これ、要らないよね?」と次々に繰り出される姉の質問に半ばパニック状態となり

言われるがまま捨ててしまった物もあったそうだ。

「でも、その時は少し心残りがあったけど、しばらくすると忘れたから、自分にとって大した物ではなかったんだと思う」

と言った。

それを聞いた長女が

「自分は、捨ててしまった物のこと後で思い出して、心に穴が空いた感じを味わう」

「お母さんや○○(次女)みたいに捨ててスッキリ気持ち良くなる人もいるんだろうけど、自分はそうじゃないんだよね」

とも。

 

……………

 

長女が子どもだった頃、片付けられず、捨てられず、物で溢れた部屋に、何度雷を落としたことか。

きちんと整理出来る人であって欲しかった。

綺麗に片付いた部屋であって欲しかった。

ただ、それは私の理想であり、長女の求めるものではなかっただろう。

私にはもはや価値の無いように思える物たちでも、長女には愛着のある物たち。

私の理想を押し付けて、それらの物を捨てることを強制したこともあった。

 

それがどんなに長女を傷つけたか、気づいたのはずい分後のことだ。

可哀想なことをした。

 

自分の心地良い基準を押し付けるなんて、他人にならそんなことしないだろうに。

自分だって、誰かの心地良い基準を100%受け入れられるかわからないだろうに。

未熟な親だった。

 

 

こんまりさんはときめくモノは残し、ときめかないモノを手放すと教えてくれた。

そうすることで自分にとって「持っていて幸せになる」モノだけに囲まれる生活を手に入れられる、と。

長女が手放せないのは回りのモノたちにまだときめくからだろうか。

その結果、長女は相変わらずモノに溢れる生活になるのだろうが

それが彼女の幸せなら何も口出すことはないと思っている。

 

何よりもう大人なのだし、自分の後始末は自分でしてくれるだろう。

理解という名の諦めかもしれないが…(^▽^;)

 

 

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