すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

大人になんかならない

 

という記事を書いてから8ヶ月が経とうとしている。
 
私たちの場合、とりあえずこんな感じ。
 
なーんて呑気に言っていたが
いやはや、なんと言っていいのやら
やっぱりなかなか一筋縄でいかないのが現状。
 
暮らしの中の些細な事で小さな小競り合いがチラチラと炎を上げる。
大火事にならぬうちにとお互いが納得出来る方策を模索する。
なーんて大げさに構えることもない
ホントーに些細な事なのだけど。
 
我々夫婦の未熟さもある。間違いなくある。
でも、アレだなあ。
歳のせいもあるのかな。
 
我慢しなくなっている。
我慢したくない、とさえ思っている。
この歳になってもう我慢なんかしたくない、と。
 
堂々と口にすれば身も蓋もなくなるので
もちろん密かにではあるが
心の中では堂々と言い放っている自分がいる。
 
イカンなあ、これ。
我が子には「我慢しなさい」と何度言ってきたことだろう。
夫に対しても若い頃はもう少し許容できたはず。
 
歳を重ねれば
穏やかで、動じず、懐深い人間になれるのかなと思っていたが
全然そうではないことに我ながら驚愕する次第(やや大げさ
 
 
などと思っていたところ
昨日の朝ドラ『半分、青い。』でヒロインの祖父の言葉。
 
 
人間は大人になんかならない
ずっと子どものまま
競争したら勝ちたいし
人には好かれたいし
お金はほしい
 
 
ホントにねえ。。
 
人は歳を重ねて円熟味を増し
やがてイイ感じに枯れていくのかと思いきや
そうでもないのだなあ。
 
開き直って、もう我慢なんかしなーい!なんてのは
お子ちゃまへ逆行しているのか?
 
 
・・・
 
 
別の話。
 
歳を重ね、何かをきっかけに
そもそも持っていた資質や個性が際立っていく、ということ
あるだろう。
 
育っていく過程で私たちは
良くも悪くも、教育され指導され矯正されていく。
生まれながらの資質や個性が変形し改良され
あるものは花開き、あるものは隠されていく。
 
そうして長年生きてきて
正体のわからない重しのようなものから解放された時
人は自分のありのままの姿で生きたいと思うのかも。
 
 
己の個性を堂々とさらけ出したい。
己の納得できないことをしたくない。
 
もう我慢したくない。
 
 
尊大で、あまりにも自己中心的な生き方は醜い。
それは論外として
残りの方が少なくなった人生を
ありのままの自分で生きる、生き直そうとすることを
誰が押しとどめることが出来るだろう。
 
我慢しなくていい。
 
夫とのアレコレとは別の話で、そう思う。