日曜日から昨日にかけて長女と三女が帰って来ていた。
昨日三女は本当は仕事だったのが、
新型コロナウイルスの影響で全体会議が無くなり急遽休みになったそうだ。
長女が看護師として勤める病院も面会が原則全面禁止となった。
不要不急の外出を控えて家の中にこもっていると、
テレビでコロナウイルスの話題ばかりを観て聴くことになる。
東京の感染者数がここにきて急激に増えている。
感染経路不明の感染者が増えている。
外国で医療崩壊が起きている。
日本でもその瞬間が近づいている。
そして、志村けんさんが亡くなったというテレビ画面のテロップに、息が止まるほどの衝撃を受けた。
不安のオンパレード。
打ちのめされる感じに無力感とともに耐える。
なんとか気持ちを前向きに持っていこうと奮い立たせる。
このところ、そんな繰り返しな私たち。
仕事休みで実家にいる際は常にダラダラと過ごす三女。
今回もそうで、ずっとだるそうにしているので、ふと気になって「倦怠感あるの?」と訊いたら、
「大丈夫だよ」ともう不機嫌になった。
「どうして急にそんなことを言うの?」と苛立つ娘。
さらに「私、もう帰ろうかな。(コロナウイルス)うつすと悪いから」と逆ギレ気味に言う。
単純に心配して言った私の言葉に過剰反応し、
家族は自分のことを迷惑に思っていると、的外れでネガティブな感情で怒りをぶつけてくる。
「心配だから訊いただけだよ。うつったら嫌だなんて思っていないよ。それはもう仕方ないことでしょ」
もしかしたら彼女自身も不安に思っていたのかもしれない。
だから、心配してくれる言葉に逆に不安を煽られ過剰反応したのだろうか。
怖いと思った。
見えないものへの不安が人間の心を壊していくことが。
新型コロナウイルスは人間の体だけでなく心も蝕んでいくのかもしれない。
・・・
コロナウイルスではない肺炎と父が闘っている。
今週明けに退院できそうと喜び、実際月曜日に退院したのだが、
翌火曜日高熱を出し、再び病院へ。そのまま再入院となった。
兄の話では、父は意識もしっかりとあり、何とか歩けてはいるよう。
だが、いよいよダメかもしれないぞとも言う。
娘として、父はよく生きたと思っている。(父の思いはそうでないかもしれないが)
だから、たとえ父の命が尽きることになっても、
よく生きたね、
最期まで兄に面倒みてもらえて良かったねと、
そこに心残りは無いと思うことが出来るだろう。
ただ、もう一度、生きている父に会いたい。会っておきたい。
しかし、今、それをコロナウイルスが阻んでいる。
見えないウイルスに自分が感染しているかもしれない不安を抱えて、病院にいる父に会いに行くこと。
それによって感染が広まったらという最悪のことを想像すると、自分の願いを通すことが憚られる。
いよいよの時は会えるのだろうが、遠方から駆け付けても間に合わないかもしれない。
同じことを堂々巡りのように考えて、今は我慢するしかないと自分に言い聞かせる。
志村けんさんのご遺族が最期にけんさんのお顔を見ることも叶わず、お骨を拾ってあげることも叶わず、
遺骨となり戻ってきたけんさんを抱きしめておられたお兄さんのお気持ちを思うと、痛ましくてたまらなくなる。
志村けんさんのことでそれを知るのだが、そうして大切な人を見送った方たちがいらっしゃったということ。
なんと残酷なことか。
※悲観的なことばかりで申し訳ありません。この後、気持ちを上げていこうと思います!