昨夜遅く、というかもう今日になっていたが、夜更かしをしながら何気なく観たテレビドラマ。
その中で、77歳になった父親が「顔のシミを取りたい」と言う場面があり、あっ!と思い出したことがあった。
86歳で亡くなった母が70代の中頃だったか、「顔のシワを取る手術をしたい」と言い出した。
もともと、ビックリするようなことを突然言い出すところがあったが、その時も皆が唖然とした。
父も私も、兄も義姉も、一様に何をバカなことをと即反対した。
冗談の様で母のことだからけっこう本気だったりするので、こちらも真面目に反対したと思う。
「髪の毛の生え際に沿って皮膚を切って、シワを伸ばしながらキュッと入れ込めばいいと思うんよ」
手鏡を覗き、シワを伸ばしながらキュッキュッと生え際の奥へ入れ込もうとする母。
「でも、それだけのシワを違和感無く伸ばせるかなあ?変なふうに突っ張るんやないの?」
何とか諦めさせようと冷静な判断を促す私。
それでもしばらく言い続けていたなあ。ちょっとシツコイくらいに。
色白で年をとってもシミが無いことが自慢だった母。
娘(私)の顔のシミを見つけては「あんた、シミ多いなあ」とズケズケ。
本当のことだから仕方ないけど、そういうとこデリカシーに欠ける母。
そんな母も自分の顔のシワは悩ましい現実だったのだ。
何処にどうというレベルではなく、何しろ顔全体がシワで覆われている状態。それもけっこう深いシワ。
そのせいか、同級生と写真に写っても、ずい分老けて見えた。
それがまた、母を悲しませた。
ああ、このシワがピーッと伸びてくれたらと願う母の気持ちはわかる。
わかるが、手術には危険も伴うし、その歳で今さら手術をしてまでと家族は思ったのだった。
ドラマの話に戻るが、
アレルギーを疑って出かけた病院で、アレルギーではないと言われたものの、ふと思い立った父親が顔のシミを取りたいと言う。
「このシミは簡単に取れる」と医師に言われ、その場ですぐ治療を受けた父親。
付き添った娘は「どうして今頃になってシミなのよ。もういいじゃないの、老人なんだし」と軽く苛立つ。
学生時代の親友たちと食事をしながらそんな父親について愚痴る娘。
病院帰りに一緒に食事をするつもりだったが気持ち悪いからキャンセルしたという娘に、
「父親がシミを取るのがどうして気持ち悪いわけ」と親友。
「だってじじいのくせに気持ち悪いじゃない。いい歳してさ」
高齢の父親の美容を受け入れ難く感じる娘の気持ちを理解しながらも、親友たちは父親の気持ちを慮り、娘に穏やかに助言する。
「刺激が欲しかったんじゃない?長年気になっていたシミを取ることで元気になったかもしれないし。大事みたいよ。年取ってくると」
父は自分を元気づけるためにシミを取るなどと言い出したのかもしれない。年老いた父が自分で自分を励ますことの何がいけないと言うのか。そう考えて反省した。
実は私も、母があんなに望んでいたのだから好きなようにさせてあげれば良かったかなと、今になって思ったりしている。
高齢で手術をするリスクを危ぶむ気持ちももちろんあった。
だが、いい歳して顔の整形なんて娘として恥ずかしいと少なからず思ったのも正直なところ。
つまりそれは世間的に恥ずかしいという。
皮膚がピーンと張ったそれまでとまるで違う顔で島のスーパーに行けばどれだけ噂になるか。陰で嘲笑されるかもしれない。
そんなことを想像した。
しかし、仮にそうなったとしても母本人はそんなことなど気にしなかっただろう。
そういう人である。
念願叶い、嬉々として再び人生を謳歌したかもしれない。
そう考えると、好きなようにさせてあげれば良かったかなと思うのだった。
(でもまあ、やっぱり無理だったろうけど(^▽^;))
晩年、母は仰向けに寝て手鏡で自分の顔を見ては
「こうしてると顔の皮膚が下に流れてシワが無くなるんよ。10歳は若くなるやろ」と言っていた。
今、娘の私もしみじみとその“効果”を実感している(笑)。
ちなみに、そのドラマは『生きるとか死ぬとか父親とか』テレビ東京金曜日深夜0時12分~
娘役は吉田羊さん、父役は國村隼さん。國村さんがいい味出していて、ほろりとさせられる。
ところで、シワとシミの関係について以前記事に書いたことがある。
ドモホルン〇〇〇〇の再春館○○の新聞広告で読んだのだが、
メラニンは悪者・・・、とは限りません。
シミの素になるメラニン。
実は、ハリを壊してシワの原因を作る紫外線からお肌を守っています。
大切なのは過剰に作らせないことなんです。
つまり、シミを恐れるあまりメラニンを忌み嫌い過ぎると、ハリが失われシワシワになる。
どうすりゃいい……╯︿╰
母は高齢になってもずっと色白でシミが少なかったけど、シワは若い頃から多かった。
なるほどと思った。
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