「イルカ」 よしもとばなな
大好きなばななさんの本、表紙の可愛らしさに惹かれ、図書館で借りました。
超簡潔なあらすじです。
恋人と初めて結ばれたあと、東京を離れ、傷ついた女性たちが集う海辺の寺へ向かった小説家キミコ。外の世界から切り離された、忙しくも静かな生活。その後訪れた別荘で、キミコは自分が妊娠していることを思いがけない人物から告げられる。まだこの世にやってきていないある魂との出会いを、やさしく、繊細に描いた長編小説。(紀伊国屋書店ウェブサイトより)
よしもとばななさんの本を読むといつも感じるのは、ああ、わかるなあその感じとか、そうか自分がこうなのはそういうことだったんだとか。
登場人物の感情や感覚が自分と同化して、あれ?これってワタシのこと?って思うんです。
そうして、自分でも自信が持てなかったり不思議だったりすることが赦され認められるようで、癒されていくのを感じるのです。
著書「王国その3 ひみつの花園」の後書きで、
くせがあるし、夢見がちだし、興味のない人には全く興味のないことをくどくどとくりかえし書いている小説
とばななさんご自身が書かれているように、彼女の世界に全然はまらない人もいるだろうなとは思いますが、好きな人はきっと凄く好きだと思います。
当たり前のこと、言いました(^▽^;)
「イルカ」の中で、心に響いて刺さって励まされた言葉たちです。
お母さんが死んでから、こんなに素直に過ごしたことはあったかな、私はきっと気負いすぎていたんだ、と思った。妹に必要なのはただ承認されることだったんだ。なのに私は将来の心配ばかりしていて、小言を言ってばかりいた。将来の心配なんて自分に関しては絶対にしないのに、身内だと別で、そのことに気づきもしないものなんだな。そういうふうに思えた。
前々回に記事にした次女のことが浮かびました。彼女が求めたのもただ承認されることだったのかもしれません。
どうして私はいつも離れていくのだろう。いつもどうして先へ先へと行ってしまうのだろう。どうして次々に退屈してしまうのだろう。
いや、いいのだ。それが私だ。逃げ続けるのだ。
いつも離れていこうとする。先へ先へと行ってしまいたくなる。ああ、これは私だ。
いいのか。それで。それが私なのだと思っていいのか…。
そうやって許さなくちゃいけないことが増えていくのは、幸せなことだった。潔癖でかたくるしかった自分の人生がぐちゃぐちゃに壊れてどろどろに混じっていく、今度はその泥の中からはどんな蓮が咲くんだろう?そう思った。
きちんと生きていくことが正しいと思っていた。その為には、周りを縛り許さなかったこともあっただろう。でもある日、きちんと生きていくことだけが正しいわけではないことに気づく。
許さなくちゃいけないことが増えていくのは幸せって、なんて素敵な思考だろう。
ぐちゃぐちゃに壊れてどろどろに混じっていく泥の中にはどんな蓮が咲くのだろう?
「お姉ちゃん、今、不幸?」
妹が聞いた。
「そんなことはないよ。全然。幸福でもないし、不幸でもない。」
私は答えた。ずっとそうだった。別に幸福でも不幸でもなく、すばらしかった。いつだってそうだったのだ。
幸福だとか不幸だとかの範疇で括られず、ただすばらしかったと思える日々。そのように私も生きていきたい。
以前の記事を貼らせていただきます。お時間とご興味がありましたら……(;^ω^)
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