NHK朝ドラ『らんまん』
主人公万太郎の祖母タキを演じる松坂慶子さん。
台詞の一つ一つや表情に
万太郎を思う気持ちがひしひしと伝わる演技。
私が言うのもなんですが
円熟味のある良い役者さんになられたなぁと。
松坂慶子さんを初めて観たのは『おくさまは18歳』(ご存じでしょうか?^^)
ヒロイン岡崎友紀さんの同級生役でした。
高校生役にしてはあまりにも妖艶な美貌が
とても印象的だったのを憶えています。
……………
タキは万太郎に言います。
「何かを選ぶことは何かを捨てることじゃ」
人は欲しいもの全てを手にすることは出来ないと。
その通りだと頷きながら、以前読んだ本を思い出しました。
著者は川村元気さん
2013年本屋大賞にノミネートされ話題にもなったのでご存じの人も多いのでは。
後に映画化もされました。
郵便配達員として働く三十歳の僕。ちょっと映画オタク。猫とふたり暮らし。
そんな僕がある日突然、脳腫瘍で余命わずかであることを宣告される。
絶望的な気分で家に帰ってくると、自分とまったく同じ姿をした男が待っていた。
その男は自分が悪魔だと言い、「この世界から何かを消す。その代わりにあなたは一日だけ命を得る」という奇妙な取引を持ちかけてきた。
僕は生きるために、消すことを決めた。
電話、映画、時計…僕の命と引き換えに、世界からモノが消えていく。僕と猫と陽気な悪魔の七日間が始まった。
(Amazon.「BOOK」データベースより)
作中で主人公の母親が言うのです。
「何かを得るためには、何かを失わなくてはね」
そして、主人公の「僕」は言います。
「僕らは、電話ができることで、すぐつながる便利さを手に入れたが、それと引き換えに相手のことを考えたり想像したりする時間を失っていった。電話が僕らから、想いを溜める時間を奪い、蒸発させていったのだ。」
「僕」は自分の命と引き換えに世界からモノが消えるたびに
失ったモノの大切さに気づいていくのです。
当時、私はブログに書きました。
自分が若い頃、携帯電話は存在しなかった。
だから現在のように、今何処だとか、あと何分で着くだとか
歩きながらや電車の中などから連絡することは不可能だった。
そのため、約束の時間に遅れて相手を待たせることのないように神経を尖らせた。
時間になっても来ない相手を心配し、とにかく待っていた。
携帯電話一つでそんな状況も軽く解消できる今の若い人たちにしたら
なんて効率が悪いと思うだろうか。
しかし、そんな非効率(昔も今も自分はそうは思わないが)な人と人の繋がりの中で
確かに人は人のことを考え、想像する時間を持っていた。
それは尊く大切なものだったと、今つくづく思う。
そういえば、駅などで待ち合わせをするとき、あったのは伝言板だった。
約束の時間に遅れた友だちには「先に行ってるよ」と書いた。
友だちはその書き込みを探し見つけてこちらの意思を受け取った。
それで良かった。
それしか方法が無いからだが、それで十分用が足りて、不便と思うこともなかった。
伝言板はたくさんの人たちの言葉で埋め尽くされていて
当然連絡事項もあるのだが、中には告白めいたものもあった。
「ずっと待っていましたが、帰ります」などというのもあって
あてもなくずっと待ち続けていたのかもしれないその人の、佇む姿が浮かんだりした。待ち合わせの相手を待ちながら伝言版を眺めて、あれこれ想像するのも楽しかった気がする。
他人の伝言を盗み見ることはあまり良い趣味ではないのは認めるが
今考えると
個人情報満載の素晴らしくあけっぴろげのその板が
当たり前のようにきちんと存在していたこと
昭和の人間としては誇らしくもあるのだ。
そして、とても懐かしい。
……………
何かを得る為には、何かを失うことも受け入れなければならない。
それを私たちは念頭に置くべきなのでしょう。
そうすれば私たちの中に謙虚な思いが芽生え
くすぶる不満も少しは軽くなるのではないでしょうか。
歩み寄る気持ちが生まれ
不毛な争い事も少しは減るのではと思います。
望むもの全て手に入れることが出来れば
それに越したことはないけれど
でも、そうはいかないのがほとんどで
長く生きていればそんなことは痛いほど分かっていますから。
ならば、何を得て、何を失うか
その選択を間違えないように
自分自身に深く問いかけねば、です。