すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

褒めること、褒められること

 

朝のニュース番組。何気なく観ていると“家族間でこそ褒め合いましょう”と話す人がいた。

褒め方として次の3点を挙げていて

①3つのS「すごい」「さすが」「すばらしい」を聞こえるように言う

②部屋に“褒めボード”を置き、家族を褒める言葉を紙などに書き、貼って伝える

③横でなく、縦で褒める。つまり、人と比べて褒めるのではなく、その人の過去と比べて、努力や達成したことを褒める

そうして褒められることで、自分のことを細かいところまでよく見てくれているという信頼が生まれ、

その信頼のポイントを貯めることで家族間の信頼が深まるということだった。

 

 

それで直ぐに思い出したのは、いわゆる“褒め上手”だった母のこと。

「すごいねえ」「さすがやねえ」とよく口にした。身内にも、他人にも。

褒められると嬉しい。自信にもなった。

母の良いところだったと思う。

母と一緒に暮らした子ども時代から、成人し結婚し母と離れても、

時々聴ける母の褒め言葉を心地よく感じていた。

 

しかし、ある時ふと気づく。

 

あれ?何だかわたし、母のいいように動かされている?使われている?

 

母の頼み事をこなすと、それはもう大いに感謝され、出来栄えを褒めちぎられる。

「すごいねえ」「さすがやねえ」である。

こちらも嬉しい。やって良かったと思う。

ただ、

あまりにも母の都合であれもこれもと頼まれたり、一つ終わって休む間もなく次のことを頼まれると、

出来ることはたまには自分でやればいいのにと、自ら動かない母が少し恨めしくなった。

褒めておだてて、人のこと、いいように使っている。そんなふうにも感じた。

そのうち、

母の頭の中に浮かぶ「こうしたい」事を自分ではやらず、出来れば誰かにやって貰おうとしているのが見えてきた。

6人兄弟の末っ子だった母。いつも両親や兄姉の誰かに助けて貰いながら育ったようだ。

幼い頃から病弱で、母親になってからも大病をしたので、人より体力が劣っていた。

だからかなと母を理解しようとしたが、度重なるとうんざりした。

 

それでも、普段は離れて暮らしていたので、実家に帰った時くらいはと母の要望に応えるのだが、

四六時中一緒だった父は大変だったと思う。

母の「パパ、ありがとう。すごいねえ。さすがやねえ」の言葉に突き動かされるように家事に勤しむ父だった。

 

晩年、心臓を病み、足腰がすっかり弱くなった母を助け支えることは、

頼まれるまでもなく、ごくごく当たり前のこととしてあったが、

変わらず母は「ありがとう。すごいねえ。さすがやねえ」と褒めてくれた。

「全然大したことないよ」と応えながら、母の老いが切なかった。

 

 

人は褒められると嬉しいし、自信にもなる。

人を褒めることは決して悪いことでない。

ただ、褒めた人間の思惑が少しでも入ると胡散臭くなるのかな(苦笑)

 

 

余談だが、

我が家の夫と長女は過剰気味に褒められると警戒するところがある。

そんなに褒めてくれて、裏に何かあるのか?と思うらしい( ̄▽ ̄;)

 

 

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